2006年04月03日

自分は良いけど他人はダメ

だからコッソリやりましょう(^_^;)
と、言うのは、一般的には「自然界で数が減っている希少な生き物の再生」と呼ばれている行為のことです。
ペットショップ等で買った生き物や、採集した生き物でも、(ピンポイントで)元の棲息地以外の場所に放すのは、これは堂々とだろうが、コッソリだろうが、絶対にダメ。自分も他人もダメ。研究者だろうが政府の者であろうが、誰もやってはダメ。
営々と築き上げられてきた、生き物の(遺伝的な)地域特異性を一瞬で壊してしまう権利は、誰にもありません。
私個人的には、絶滅したトキやコウノトリの再生にも頷けない。観光客誘致以外の目的が見出せない。ただ完全に絶滅したものを再生させるということ、つまり守るべき地域個体が既に消失しているという意味において、辛うじて反対はしないというスタンスです。

冒頭の「希少生物の再生」。つまり生き物の棲息地から個体を採取し、その子孫をピンポイントで同じ場所に放流するという行為ですが、これについても慎重にやる必要があると思っています。
そもそもその生き物が減っている原因=環境の悪化だとか変化だとか、乱獲によるものだとか、その生き物を含めた生態系の激変だとか=を、そのままにしておいて、個体の数だけを増やしても意味はありません。むしろ生態系の一部分だけを突出させると却って絶滅を早めます(狭く取らないでくださいよ。蛍の幼虫とカワニナを一緒にバラマクというのは甚だしい環境破壊ですからね)。
では、生態系全体を考え、その中で特に減っている生き物を保護して増やす。しかも減っている要因についても可能な限り再生を目指すとすればどうでしょう。
この場合は、一人や二人の力ではどうにもなりません。
例えばサンショウウオの卵嚢を持って帰り、孵化させ、ある程度まで育てて(もちろんピンセット給餌などは避けて)元の場所に帰すとしましょう。
これを一人でやると、同じ親から生まれた特定の遺伝子の個体のみを増やしてしまうことになるので、やはり絶滅を早めてしまいますから、再生ではありません。卵嚢を孵化させたら、できるだけ早い時期に同じ場所に戻すということなら「環境に多少配慮した採集」とは呼ぶことが出来るでしょうか。
卵嚢の時期に密猟者に根こそぎ持っていかれると、たまったものではありませんから、そしてその脅威は現実の物ですから「自分は良いけど他人はダメ」も、やむなし(^_^;)
ただ、これは再生とは呼べず、しかもコッソリやるのが筋でしょうね。

では、再生とは何か。
一人でコソコソやってることを、各々連携しながら大人数でやれば、再生になる様な気がするんですけどねぇ。プラカード持って抗議するという様な行動を避けさえすれば、意識の高い人たちも集まりそうな気もするのですが、どうでしょう。
何々?「どういうやり方したって、貴様には人は寄らん」ですと?
解ってまんがな。せやからコソコソしとりまんねん(~_~;)
posted by 水族館長 at 17:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の独白(嘆き) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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